「For A New World(FANW)」というMRA/IC関係の出版物、講演録、映画などを集めたアーカイブのサイトがあります。
「新しい世界のために – 人生を変えた人々のストーリー」という内容で、国際MRA/ICの創始者フランク・ブックマンのビジョンと、憎しみのない、恐れのない、世界を求めた彼に影響を受けて新しい生き方見出した人々のストーリーが掲載されています。https://www.foranewworld.org/ja
そのブログに寄稿させて頂きました。ご覧下さい。
2024年8月30日
「オッペンハイマー原爆被害者に謝罪」(和訳)
藤田幸久
オッペンハイマー、浜井広島市長、ブックマンの共通項を探ることで、世界の戦争への危険な流れをくい止める努力をすべきではないでしょうか?
核による対立の影が高まっています。新たな「冷戦」と軍拡競争の再燃が懸念されています。私は昨年10月6日のブログで、戦後の浜井信三広島市長と、彼が和解のシンボルとして1950年に欧米の歴訪国で贈呈した木の十字架について述べました。https://www.foranewworld.org/ja/blog/guangdaonoweilingbeinikemaretayanyehakoteshengmareta
私はこのストーリーが頭に残り、さらに調査を続けています。十字架は12個だと言われていましたが、50個であったかもしれないことがわかっています。最近、この和解の精神を裏付ける新たな事実が明らかになりました。
1964年、被爆者はオッペンハイマーとトルーマン大統領と会談した
日本の国営テレビNHKは6月のニュースで、「原爆の父」として知られるロバート・オッペンハイマーが1964年に米国で広島の被爆者に謝罪したことを報道しました。これは、通訳のタイヒラー陽子さんが亡くなる数年前に証言していた映像が最近見つかり放送されたものです。
彼女によれば、オッペンハイマーは会談の部屋に入ってくるなり泣き出し、何度も、何度も謝ったとのことです。この非公開の会談は、この映像が放送されるまで一度も明らかにされることがありませんでした。この映像は、広島のクエーカー教徒によって設立されたワールド・フレンドシップ・センター(WFC)が、2015年に設立50周年を記念して作成したものです。
(写真1 タイヒラー陽子さん)
タイヒラーさんは、被爆者グループがオッペンハイマーと会う直前に、原爆投下を命じたハリー・トルーマン大統領と面会したことも述べています。WFCに保管されている1964年5月6日付の「カンザス・シティ・タイムズ」紙は、大統領と松本博士ら7人の被害者との面会を報じています。松本博士は妻と350人の教え子を失った広島の大学の学長でした(生存者はわずか7人)。大統領は「皆さんが関心を抱いていることは、双方で50万人の死者を出さないような形で戦争を終わらせること……それにつきる」と述べました。タイヒラーさんは、トルーマン大統領とオッペンハイマーが被爆者に会ったときの反応が対照的であったと述べています。
私は1980年代から90年代にかけて、スイスのコーで開催されたMRAの会議で、日本代表団の通訳として彼女を雇っていたために、何度もお会いしています。コー円卓会議では貿易戦争の話が中心でしたので、ヒロシマについて話さなかったことが私には悔やまれます。
浜井広島市長からの十字架がトルーマン大統領に贈られたと言われる
私は、1964年という早い時期に、なぜトルーマン大統領が被爆者に会ったのかと思いました。オバマ大統領が被爆者に会ったのが2016年、バイデン大統領が会ったのは2023年だからです。
私はトルーマン大統領が被爆者と会ったのは、広島の爆心地の楠から作られた十字架を浜井市長から受け取ったと言われているからかもしらないと思いました。浜井市長は、70人ほどの日本の政財界のリーダーからなる代表団の一員としてコーを訪問しました。彼はそこでドイツ人とフランス人の間の劇的な和解を目撃しました。そこから欧州数カ国と米国を訪問し、訪問国の指導者たちに十字架を贈呈しました。米国上院では、日本の国会議員2人が、日本が戦争中に行ったことを謝罪しました。最終的に、市長はアーリントン国立墓地を訪問した後、広島に慰霊碑を建てることを決定しました。そこには日本語で「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。この言葉は、日本と米国を含む全人類を意味します。WFCの立花志瑞雄理事長が、トルーマン図書館に、この十字架が存在するかどうかを調査中です。
ブックマンは言った「私は、今この十字架のもとではっきりと自分の行くべき道を決める」
十字架はコーでフランク・ブックマンに贈呈されました。浜井市長はそのことを1955年の中国新聞に「MRA大会 平和卿に繰り広ぐ」という見出しで以下のように述べています。「日の丸の歓迎に思わず涙が出た。十字架を一基ブックマンに送った。万雷の拍手で迎えられたが、急に拍手がピッタリと止まって、水を打ったような静けさに返った。見るとブックマンがその十字架を手に取ってじっくりと見入っていたが、静かに、実に静かに「私は、今この十字架のもとではっきりと自分の行くべき道を決める。きょうは、この十字架によって、良い教訓を受けた」と独りごとのように言った。」
(写真2 ブックマンと日本代表団 コー、1950年)
オッペンハイマーの孫、「相手に対する恐れが軍拡競争政策を駆り立てた」
ロバート・オッペンハイマーの孫であるチャールズ・オッペンハイマーは、原爆投下から79年後の今年6月、初めて広島を訪れました。彼の祖父は1960年に来日しているますが、広島には行っていません。彼は共同通信に以下のように語りました。
「私の言葉は、核兵器はそもそも危険なものであり、対話と協力を深めることでその危険を乗り越えることができるというオッペンハイマー家の哲学に基づいています。彼ら(米ロ)は「相手に対する恐れ」に走ります。それが、祖父が最も恐れていた軍拡競争へと政策を駆り立てたのです。ロバート・オッペンハイマーが言ったように、「この世界の人々」、つまり全人類は「団結しなければ滅びるのです」。
(写真3 記者会見するロバート・オッペンハイマー 1960年9月、東京)
オッペンハイマー、浜井市長、ブックマンに共通する理念
私は、オッペンハイマー、浜井市長、ブッくマンには共通の理念が存在すると認識するようになりました。核兵器使用の脅威は、この数年で増大しています。人工知能(AI) が「核のボタン」を押すことができるようになっています。戦争が長引けば長引くほど得をする利害関係者が増えています。ウクライナ戦争までは、いわゆる軍産複合体が武器を売ることで利益を得ていましたが、今では食品、エネルギー、製薬、IT、宇宙産業など、より多くの産業が戦争から利益を得ることができます。ウクライナやガザでの戦争は、国連や大国が止めることのできない戦争になっています。
オッペンハイマー、浜井市長、ブックマンのこの共通の理念によって、世界のこの危険な流れを止めるために協力すべきではないでしょうか。『過ちは繰りかえしませぬから』と。